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散策場所
































日時5-Mar2-Apr14-May11-Jun
1武藤義信oooo
2重富征雄oooo
3西川英明oooo
4種田悠人o
坂本美登oooo
6嶋田苞
野坂明代ooo
平井町子oooo
舟久保洋子oooo
10青山優子o
11池田武弘
12太田淳oooo
13佐川洋
14中久保正弘ooo
15西方忠男
16前田駿ooo
17横山喜淳
18山本保晴o
19阿部洋治o
20安福達雄ooo
21嶌村治ooo
22関岡満里子oooo
23根岸伊作o
ビジター
太田(ご家族)o
参加者合計13171013
会員数
 
|06-11|年度別会員参加状況コメント(0)TOP↑
 

 歴史散策会のメンバー13名が、6月11日、移転開業間もない豊洲市場を見学しました。 ゆりかもめ線の豊洲から2つ目、市場前駅からすぐのところです。 梅雨のさ中で、数日前までは雨と予報されていましたが、薄日の指す快適な日和となりました。 山本さんが久し振りに参加され、賑やかな散策会となりました。

 

 豊洲市場は、東京ドーム8個分、銀座の大部分がすっぽり入る大きさだそうです。 平日にもかかわらず、多数の外国人を含めて千客万来の大賑わいでした。 建物の棟は3つの街区に分かれています。 5街区 青果棟、6街区 水産仲卸売場棟、そして7街区 水産卸売場棟です。 まず、7街区から見て廻りました。 ここは、国内外の水産物が集まり、取引を行う場所です。 2階の見学者用デッキからはマグロのせりを見ることもできますが、残念ながら時間外で(せりは早朝)1階の作業場は閑散としたものでした。 それでも、掲示板でいろいろな作業の内容がわかるようになっています。 ここのインフォ―メーション・センターで、マグロの模型を前にして集合写真を撮りました。 次に6街区 水産仲卸売場に行きました。 ここは、町の魚屋さんやお寿司屋さんなどが、水産物を仕入れに来る場所ですが、多くのお店が営業を開始していました(開店率は6~7割くらいでしょうか)。 水産仲卸売場棟の屋上には屋上緑化広場が設けてあります。 大変立派な設備で、緑の芝生を踏みながら晴海方面など素晴らしい海上の周囲を見渡すことができます。

 

ここでお昼となり、水産仲卸売場棟の3階の魚がし食堂(すし屋など20店舗以上が開店)を中心として、昼食をとりました。 第1候補としていた “寿司大” が予約満員となり、いくつかのグループに分散しました。 5人ほどは 鮨分” という店に入りましたが、結構美味でした。

 

午後からは、国内外の野菜や果物を集めて取引を行う、5街区の青果棟を見学しました。扱っている商品の特性上人気が今一つというところのようで、ゆっくり見ることができました。 市場としてはまだ発展途上という感じでした。 (重富記)


|06-11|2019年の散策コメント(1)TOP↑
 

5月14日の散策は、昨年12月に雨天のために延期となった「高尾山登り」に再挑戦すべく準備を進めてきました。 ところが、今回も天の神様の“ご機嫌が斜めで”天候が思うに任せず、出来立てホヤホヤの6月分散策計画「今は無き竜国川の跡を歩く」に急遽スイッチしました。 都市部の散策は少々の雨でも問題なかろうとの読みからでした。 結果的には大成功でした。 大変有意義な散策をすることができました。

雨模様にもかかわらず、10人の常連メンバーが散策に加わりました。案内人は武藤代表です。 武藤代表の特徴をよく表したプログラムで、都心の中で、今は忘れ去られようとしている昔あった掘割の跡を辿るという、大変興味深いおはなしです。

かつて、竜閑川(りゅうかんがわ)と呼ばれた掘割の跡を辿って歩きます。 この川は江戸の昔、明暦の大火の後に神田と日本橋の境に築かれた火除けのための土手を、掘割にして日本橋側と通水し、既にあった浜町掘と接続して大川(隅田川)へ流れる水運を提供していました。

第二次大戦後、瓦礫処理のため昭和23年(1948年)から埋め立てが始まり、昭和25年(1950年)には埋め立てが完了し、竜閑川は完全に姿を消しました。 現在では、竜閑川跡は巾1-2mほどの路地となっており、往時の水路の面影はほとんど残っていませんが、交差点名としてその名がいくつか残っています。 大和橋交差点(靖国通り)、鞍掛橋交差点(江戸通り)、龍閑橋交差点(外堀通り)、今川橋交差点(中央通り)などはすべて竜閑川にかけられていた橋の名前です。

   竜閑川は江戸の神田と日本橋の境界を流れていたので、その跡地はそのまま千代田区と中央区の境界となっており、境界をまたがる施設の管理責任や住宅表示などにそれが反映されているのも興味深いです。
 昼食は、うなぎ割烹「大江戸」本店で、10人全員が一寸した贅沢をしました。
 また、反省会には4人しか残りませんでしたが、次月のプランなどを話し合いました。 (重富記)
 

|05-14|2019年の散策コメント(0)TOP↑
 
 歴史散策会の17名が、4月2日、東京工業大学大岡山キャンパスと洗足池公園を散策しました。 晴天には恵まれましたが4月というのに気温12~13度で少し震えるほどでした。 東工大OBの西川さんが案内人となり、現役東工大ミス太田さんのお孫さんがアシスタントを務めてくれました。 長くお休みされていた種田さんと根岸さんに参加いただいたのはうれしいことでした。

 当日はたまたま入学式と重なり、満開の桜にもつつまれてキャンパス内は目出度い雰囲気に包まれたようでした。 広大なキャンパスの中を走る目黒線の渡線橋からは丹沢山脈の向こうに雪をかぶった富士山が望めました。 巨大な太陽光発電パネルに覆われたビルも見学しました。 正門近くの百年記念館では、輝かしい歴史を築いた教授陣の人物や業績の展示を見学しました。

 昼食は、駅周辺の店でそれぞれに摂りましたが、評判のグルメ料理を30分待っていただいたために、食後の集合時間に遅れた組もありました。

 午後は、駅から20~30分位歩いて洗足池公園を散策しました。 洗足池は北千束の清水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池です。 春は桜で賑わい、秋には紅葉を満喫することができます。 歴史を伝えるものとしては、日蓮上人の袈裟懸けの松、勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛の留魂碑などがあります。

 正規の散策会はここで終了しましたが、5月に令和皇后になられる雅子さまの実家、小和田家が近いということで、有志で追加の散策をしました。 コンクリート御殿と呼ばれる立派なお屋敷です。 警官が見張りに立っており、撮影は禁止されました。(重富記)
|04-02|2019年の散策コメント(0)TOP↑
2019年の最初の歴史散策です。 18年12月の 「高尾山登り」 が雨でキャンセルとなってから実に4ヵ月ぶりの散策です。 歴史散策会の会則を19年から改定し、極寒・酷暑を避けるために1~2月、7~8月をお休みとし、散策頻度を年間8回といたします。 これによって、このプログラムの永続性がより高まることを期待しています。
3月5日は快晴で、又とない散策日和でした。 「世田谷散歩」 と題して、梅を鑑賞しながら世田谷の史跡・名所を巡ります。 13名が元気にスタート地点の小田急梅ヶ丘駅を出発しました。 梅ヶ丘駅前には、都内を中心に名古屋、香港にも店舗を展開している 「美登里寿司」 の本店がありますので、一寸、店の外観を覗いてみました。 名前が売れているほど大きな店ではないようでした。 先ず、ちょうど梅が満開の 「羽根木公園」 を訪れました。 平日にもかかわらず、沢山の見物客でにぎわっていました。 昭和42年に55本の梅を植樹したのが始まりとのことですが、現在は、約60品種の梅が約650本 (白梅約420本、紅梅約230本) あり、立派な梅園となっています。 満開時期をわずかに越えたというところで、梅を十分楽しむことができました。 なお、この梅園は数年前に写真同好会で一度来たことがあります。
国士館大学前の地域交流文化センターに立ち寄り、小休止をしてから、吉田松陰を祀る松陰神社に行きました。 かつて長州藩主の別邸があった場所に、松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作などの門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改装されました。 1882年 (明治15年)、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建されました。 「松陰先生他烈士墓所」 と名付けられた域内墓域には、吉田松陰の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、その他烈士の墓碑があります。 世田谷線松陰神社前駅の駅前通りで、三々五々に分かれて昼食をとりました。 われわれは、7~8人位しか入れない非常にこじんまりしたお店で 「タイ茶漬け」 などを注文しましたが、結構美味でした。
昼食後、世田谷線沿いに歩いて 「世田谷城址公園」 へ出ます。 昭和15年に開園した世田谷区内唯一の 「歴史公園」 で 「東京都指定文化財」 にもなっています。 公園内には、昔のおもかげを残す土塁や丘、谷があり、樹木に覆われた自然豊かな公園です。 世田谷城は、初代吉良氏が南北朝の頃、関東管領・足利基氏から、戦の手柄により、武蔵国世田谷領をもらいうけて築城したのが始まりであると言われています。 以後、吉良氏八代、二百数十年の間、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれました。 1590年 (天正18年) 豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたため、廃城となりました。
その後は、烏山川 (からすやまがわ) 緑道に沿って歩き、井伊直弼の墓で名高い 「豪徳寺」に出ます。 本寺の付近は、中世の武藏吉良氏が居館とし、天正18年 (1590年) の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったとされています。 寛永10年 (1633年)、彦根藩主 井伊直孝が井伊氏菩提寺として伽藍を創建し整備しました。 寺号は直孝の戒名である 「久昌院殿豪徳天英居士」 に依っています。 また、招き猫発祥の地とする説もあります。 井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩薩所としたといいます。
最後は、 「世田谷八幡宮」 です。 寛治5年 (1091年)、後三年の役の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天候回復を待つため滞在することになりましたが、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の加護によるものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の分霊をこの地に祀りました。 後に世田谷城主七代目の吉良頼康が天文15年 (1546年) 社殿を再興させて発展させました。 かつては、奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり、今年の豊作を感謝したため、境内には土俵や力石があります。
さらに烏山川緑道を進むと小田急経堂駅に出ます。 経堂駅から更に足を延ばして、朝出発した梅ヶ丘駅に到着して、本日の散策は終了となりました。 歩数は2万歩を超えている模様でした。 反省会を美登里寿司で開く予定で本店に予約しましたが、長い待ち時間に耐え切れませんでした。 結局、中華風居酒屋で、一日を十分反省しました。 世田谷区の中でも、いかにわれわれが知らない所が多いか、が反省点の一つでした。 (重富記)
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Author:essosansaku
新歴史散策会の記録です。

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